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見出しを書くことにより、意見が削ぎ落とされている。
今の世の中において「ブログ」とは、技術的なハウツー記事や数字・データがある記事、SEO重視の記事が多いからか、見出しが重視されるように感じる。
もちろん、見出しを書くことで内容が整理されるっていう側面もあるし、区切りもつけやすくなるのも理解できるし、ガッツリ書く場合には絶対見出しがあった方が読みやすい。
一方、見出しを書くことにより、余分なことを書かなくなり、「自分の意見」が削ぎ落とされているような感じになる。
意見とは、オチや締めがあるものではないため、見出し文化とは相性が悪い。だから、自分の意見が削られた文章を書いて、何が楽しいの?という感覚に陥りやすい。
だから、私は見出しがない方が自分の意見を素直に書けるように思う。ただ、こういう文章って、今の時代にはとことん歓迎されていない。
きっとそういう意見が、XなどのSNSにプラットフォームを変えてしまったんだと思うんだけど、SNSだと言葉足らずになってしまい、意見が単に愚痴を出しただけだと勘違いされやすい。
愚痴と意見は紙一重。
でも、私はそれでも意見を発信しようと思ってる。
なぜなら、「共感してほしい」とかいう承認欲求ではなく、10年20年後に、私のような一般市民が、当時の人がどのように考えていたかを知れるのって、すごく貴重な資料になると思うから。
とはいえ、SNSだと愚痴を吐き出している印象が強くなっちゃうから、こういったブログにしたためようと思う。